温泉文学『草枕』の魅力
この時期になると読みたくなる、
そして温泉旅行に思いを馳せるよすがとなる小説に
夏目漱石の『草枕』がある。
齢を重ねるごとにますます感じるのは
漱石という人はウツ気味の人であり、
彼にとっての文芸というのは
亢鬱剤的な強いモチベーションでもあったのだろうな
ということだ。
『草枕』は書く亢鬱剤として漱石にとって結構な勝利だったのではなかろうか。
後期になるほど漱石の小説は
本当に鬱々とした重苦しいシリアスさを帯びていくのだが、
私は初期の、軽みのある遊びとしての文学が好きだ。
『猫』もそうだが、
イギリスで当り前に『トリストラム・シャンディ』などを読み
現代の我々には想像もつかない先進性で
小説という新しい文芸フォーマットでの可能性を
独自のやり方で試しに試した漱石の
大きくユニークな試みのひとつとして
この『草枕』はもっと評価されるべきだと思う。
(いや、「その道」では十分評価されてるだろうが)
真面目な文芸批評の世界ではあまり採りあげられない部分かもしれないが、
『草枕』はエロティック文学としての大きな価値を宿している。
流麗といえば流麗、凝りすぎといえば凝りすぎな美文とともに、
主人公「余」ともうひとりの主人公「那美」の
つかず離れずな筋なき筋には
明治の世にあってすでに一種の現代人だった漱石の
意外なくらい先鋭的かつオヤジ的な純粋エロスへの憧れや考察がうかがわれて、
まさに温泉的な浮世離れしたくつろぎ文芸となっていて
筋がありそうでないという不思議で大胆な試みが
ちゃんと成功しているのだ。
私はこれを数少ない、もしかしたら他に類を見ない
「温泉文学」として愛読している。
残念なことに他にそう言える作品はないのだが。
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